入社してまだ数ヶ月。
いきなり任された大きなお仕事。
『週1回、お客さんの会社に常駐する。』ただのパソコンサポート(ワードとかエクセルとか)だけだと思ったら、
サーバー(大きなパソコン)の管理も任されたのん。
お客さん先には、何台もサーバーがあって、
『自分たちでは、どうしようもない。だから、常駐してくれ!』
なわけで。
お客さん側にも、一応名目上の『サーバー管理者』さんはいるのん。
でも、パソコンの操作も怪しい人が、サーバーの管理もできるかというと、
今の時代は、≠ なわけなのですよ。
その名目上の管理者さん。女性の方なのですが、
冬場でもエアコン全快のサーバールームでただ一言。
『美しい・・・』ベタな言い方だけれども、最初は、何のことかサッパリわからなかったのん。
でも、よく話を聞いてみると、
サーバーのLED(ランプ)が光っているところとか、
サーバーを正面から見た時に、無駄なスペースが無いこととか。
色んなことを話してくれました。
確かに、真っ暗な部屋で、たくさんのLEDが点滅したりしている光景を見ていると、
美しく感じたりもする。それは、クリスマス前の電飾みたいなものなのかなとも思う。
その一言を少し思い出しながら、
昨日帰ってきたばかりのカメラと、50mm f1.4のレンズ1本だけを持って、
少し暗くなってきた17時ぐらいに散歩しました。
『自律神経失調症』 って言われても仕方無いけど、
私は、ずっと色んな想像とか妄想とかしながら行動しているつもり。
例えば、散歩しているときは、正面でも足元でもなく、
上を見ながら歩いていることが多いのん。某氏から教えてもらったことを思い出しながら、
電柱と電線を見ながら歩いているのん。
そしたら、
『ぁ、この先は道がなくなっちゃうのかなー』
とか、
『新しい変圧器があるから、宅地化にあわせて増やしたのかなー』
とか。
あとは、
『この家は、光ケーブルでインターネットしてるなー』
とか、
『電話用とFAX用で、2つ電話番号を持っているのかなー』
とか。
家の屋根を見れば
『この家には、もしかしたら、大きな液晶テレビがあるかもしれない。』
とか。
そんなことを考え、妄想しながら散歩をしていることが多いのです。
その電線・電話線1本とか、電柱って、無機質ですごく直線的なモノ。
電柱から電柱へと引き渡される電線は、(余裕は多少あるけど)直線的だし、
曲線的な電柱って、存在しないよね。
ヘコんでたり、削れてたりしたら、すぐさま110番してます。
それは、さっきの女性の一言の『美しい』に近いものがあるのかなーって思ったりもしたのん。
サーバーみたいに無機質で、ただLEDランプが点滅しているだけなのに、
無駄が無い、直線的なところに美しさを見出した彼女の観点に近いモノじゃないのかなーって。
じゃあ、逆に曲線的なモノはアートじゃないのかといわれると、
そうでもないっていうのは、当たり前の答え。
人間の身体には直線的なモノってほぼ0だし、(剣山みたいな髪型してる人いるけど。)
直線とは正反対で、柔らかさ、優しさみたいなものを表現するときって、曲線だよね。
私は、そこで思ったことがあって、
暴れ元気な甥っ子が広告の裏に鉛筆で落書きをしている光景。
そして、甥っ子が仕上げた作品には・・・
直線って1本も無いじゃん。定規なんてもの使わないし、
本の背表紙を使って直線を引いたりなんてこともしない。
何が描かれているか、大人には理解できない。
でも、彼らの脳の中では、完結した作品になっているらしい。
私たちに感じ取れるのは、
ガンバって描いたんだ!っていう努力と、その微笑ましさ。そんなことを考えてたら、
24年間生きてきて、たぶん22年ぶりぐらいに、そんなアートがやりたくなったのん。
ただし、22年間で自分の中に蓄積された知識財産は、多少使用させてもらって…ね。
甥っ子の道具は、鉛筆と普通紙広告。
私の道具は、α-7Dと50mm f1.4レンズ。
真面目なお話、一眼レフカメラの中級機で、こんな使い方したら、バチが当たります。
でも、私の22年ぐらいぶりの欲を少し出させてもらいました。


何が表現したいのかわからない。
けれども、私は薄暗い道路で、30秒間シャッターを開けた状態でカメラを持って走った結果がコレ。
交通量が多い道を走ったから、車のヘッドライトとバックライトで、
白と赤が多いのはよくわかるけど、それ以外の色もたくさん入ってるのん。
クリスマス前の電飾だったり、お店のネオンだったり。
同じ時間・同じ場所・同じ歩数であっても、
明日走れば絶対に違う絵になってる。
『作られた「美しい」モノ』に少し飽きてきたのかもしれない。計算されて、『誰もが「美しい」と思うモノ』というものに、飽きてきたのかもしれない。
アートに縛りなんて無いと思ってる。
たぶん、近所の美術大学にいる教授の誰かは、同じ様に思っているかもしれない。
それが世間に受け入れられるか、受け入れられないかは、次の次元の話。
今回は目で見るものだけで話を書いたけど、
耳から聞こえてくるものにも、同じことが言えるんじゃないっかなとも言える。
今日は頭のてっぺんから、指の先、足の指先まで全部使った感じ。
いいリフレッシュタイムができたーって思いました。